代表 齊木和洋

2023年を迎え、文章を新しくしましたので、
以前のバージョンをこちらに掲載しておきます。

こんにちは、「半畳の宇宙」の代表・齊木和洋です。
すべての作品の演出とスタッフワークをやっています。

あるとき、空を見ていて、ふとこんなことを思いました。

サン=テグジュペリが書いた『星の王子さま』という童話があります。
この作品では、飛行機の操縦士である主人公が遭難して砂漠に不時着します。
そして、主人公は、星からやってきた小さな王子さまに出会って砂漠から生還します。
王子さまは最後、こう言います。
「人は誰もがみんな星を持っている。
そして、君も君だけの星を持っているんだ。
どこかの星にぼくがいることを想像してごらん。
その星でぼくは笑っているよ。
君はおかしくてたまらなくなる。
だって空にね、5億個の鈴がぶらがって、
まるで星空ぜんぶが笑っているみたいに鳴り響くんだ。
これがぼくから君への贈り物さ。」
そして、どこかへ消えてしまいます。

見上げると星空が広がっている。
星は笑っているみたいに輝いている。
人は誰でも心の中に自分だけの宇宙を持っている。
たとえ、手足を伸ばせる距離は限られていても
想像力を奪うことは誰にもできないし、
想像力はどこへだって持っていける。
それはいつだって取り出せて、
いつでもまた大切にしまっておける。
想像力は時間と空間を超えて無限に広がり、
半畳の世界から宇宙が生まれる。
そして、そこから生きる力が湧いてくるのだ。

私どもの作品や表現活動に触れてくださったみなさまに感謝します。
みなさまめがけて、流れ星が降り注ぐように良いことが訪れますように。

『走れメロス』は走らない。

『走れメロス』をひとり芝居にしようと決めてから、どうやって走ろうかと、あれこれとくだらないことを考えていた。
新型コロナウィルスが蔓延するもっと前のことである。

上演アイデア

案①
メロスが実際に街を走り、お客様は伴走しながら観劇するランニング演劇。

案②
メロスは舞台上からカメラマンと共に、外へ飛び出し、街を駆け抜ける姿をスクリーン越しに観劇し、最後、帰って来るメロスを劇場で待ち受けるオリンピック演劇。

案③
メロスは舞台上をぐるぐると円を描きながら走る続けるハムスターの回し車演劇。

案④
走るだけではなく、タクシー、飛行機、バス、ロケットとあらゆる乗り物を乗り継ぐ様を体で演じるパントマイム演劇。

などなど。

そして、メロス役を渡辺さんにお願いしてから、ふと思った。
渡辺さんは、健脚っていうイメージじゃないかも…。

『走れメロス』は走らない。

そうだ、『走れメロス』は走らない。

少し想像して欲しい。
例えば、家族でドライブに出かけたとする。
運転するのは、お父さん。助手席にはお母さん。後部座席には子供たち。
久しぶりの運転で、お父さんは道に迷ってしまいます。
それを見かねたお母さんが、そこを曲がって、そこは真っ直ぐと、お父さんに口やかましく、指示を飛ばします。
なんとか目的地にたどりついた頃には、なぜかへとへとのお母さん。
運転していたのは、確かにお父さんだが、お母さんも走っていたのではなかろうか。

こんなことはたくさんあって、車窓に流れていく景色を飽きずに眺めている子供たちや、流麗なギターソロに耳を傾けているロック少年や、告白の前にどきどきしている人たちなど。
実際に足が動いていなくても、心が走っていることはいくらでもある。
そして、私がやっているのは演劇である。
そうだ、お客様の心の中でメロスが走っていれば、それでいいのだ。

今回のメロスは走りません。
途中であきらめたり、休んだり、愚痴をいったり、弱音を吐いたり。
でも、そのほうが人間臭いし、そんなメロスを好きになって欲しいなと思いつつ、
今回の作品を作っています。

新型コロナウィルスの感染者が増えており、予断を許さない状況ですが、会場でお客様にお会いできることを願いながら、今日一日の大切さを嚙みしめつつ、作品づくりを進めています。
新型コロナウィルスのような感染症は、確かに演劇の敵かもしれませんが、こんな時だからこそ、出来る表現もあると、私は思っています。

あと数日で本番です。
どうぞ楽しみにお待ちください。

斉木和洋

私は何故、『わたしの中の王子さま』(原作:サン=テグジュペリ)というタイトルを付けたのか?

『わたしの中の王子さま』(原作:サン=テグジュペリ)を7月11日に久松温泉の2階にある大広間にて上演します。
『星の王子さま』というタイトルで有名な作品ですね。こちらをひとり芝居に仕立てます。
『走れメロス』(原作:太宰治)との同時上演で、『新作ひとり芝居2本立て』と銘打って公演をします。

『星の王子さま』について

『星の王子さま』のフランス語の原題は “Le Petit Prince” といいます。
英語のタイトルは “The Little Prince” 、”Petit” や “little” に「星」という意味はなく、直訳すると『小さな王子さま』ですかね。
はじめてこの作品を翻訳した内藤濯さんが、『星の王子さま』という素敵なタイトルをつけてくださって、日本ではこの名前がとてもよく知られています。

この作品には、『星の王子さま』(訳:内藤濯)の他にもたくさんの翻訳があって、今、手元にあるだけでも、『小さな王子さま』、『ちいさな王子』、『星と砂漠と王子さまと』、『あのときの王子くん』と様々なバリエーションがあります。

私は、この作品を上演するにあたって、英語版の “The Little Prince” から翻訳して上演台本を作り、『わたしの中の王子さま』というタイトルを付けました。

私は何故、『わたしの中の王子さま』というタイトルを付けたのか?

主人公は、6歳のとき、画家になる夢をあきらめて、飛行機の操縦を覚え、世界中を飛び回っています。
そして、たったひとりで生きてきて、あるとき、飛行機が故障して、サハラ砂漠に不時着してしまいます。
同乗者も整備士もおらず、ひとりで飛行機の修理をしなくてはいけない。
そんなとき、王子さまが突然目の前に現れて、主人公に、こうお願いします。

「ねえ、羊の絵を描いて」

こうして、王子さまと出会い、主人公は、王子さまがいろいろな星を巡ってこの地球までやって来た話を聞きます。
物語の最後、王子さまは、飛行機が墜落したその場所で、音も立てずに消えてしまいます。
そして、主人公は砂漠から生還します。

原作の中で、王子さまは、砂漠に不時着した主人公の前に突然現れ、そして物語の最後、どこかへ消えていきます。
王子さまはいったいどこからやってきて、どこへ行ってしまったのか。

そのとき、ふとこんなことを考えました。
王子さまは、わたしの中からやってきて、わたしの中へ消えていったのではないか。
それが、このお話をひとり芝居に翻案しようと思ったきっかけです。

王子さまとは、わたしが生み出した幻影なのではないか。

私は、こんなことを想像します。
ある人物が、部屋の中で、孤独で苦しんでいる。
これ以上ひとりで生きていくことが辛すぎて、もうこの世からいなくなってしまおうと決意する。
そして、何か薬を飲んでしまうのか、体を傷つけてしまうかして、朦朧とした意識の中で夢を見る。
そこで、王子さまと出会ったのではなかろうか。

『星の王子さま』とは、主人公であるわたしが、夢と現実の狭間で、生きることと死んでしまうことの間で、わたしが生み出した幻影・幻想・妄想(=王子さま)に出会い、そして、そのまぼろしに救われるお話なのではなかろうか。
王子さまは最後、音も立てずに消えてしまい、主人公は砂漠から生還するが、わたしを救った王子さまは、その役目を果たして、わたしの中に消えていったのではなかろうか。

「大切なことは目に見えない」

このお話の中で繰り返し登場する重要な言葉だが、目に見えない大切なものとは、王子さまのことではなかろうか。

私は、さらにこんなことも想像します。

あなたも、いつか、わたしのように、あなたの飛行機が故障して、砂漠を旅するような深刻な事態におちいってしまうことがあるかもしれない。
そんなときは思い出して欲しい。
あなたの中には、目には見えない大切なものが眠っていて、きっとあなたに声をかけてくれる。
だから、苦しいときには、立ち止まって、星の真下で、少しだけあなたの内側を見つめて欲しい。
金色の髪の毛をした男の子が突然現れて、奇妙な質問をするはずだ。

「ねえ、羊の絵を描いて」って。

あなたの中には、あなたの王子さまがいるのだから。

こんな光景を想像しながら、具体的にシーンを作っています。
さあ、どのような『星の王子さま』ならぬ『わたしの中の王子さま』になるのか、乞うご期待!!

斉木和洋

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